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2012-08-12

お金に使われない人生

両親からよく言われた言葉があります。

「モノに使われるな」

例えば、ご飯のときに、お皿を口のそばまで持ち上げるのではなく、背中を丸めてお皿に口を近づけると、よくこう言って叱られました。

お金もモノの一つだと思いますが、そのモノであるお金に使われる、言い換えれば、「お金に働かされる」という状態は、できるかぎり避けたいものです。自分の倫理観や人間性や健康を顧みず、家族を犠牲にして、自然環境を破壊して、世界のどこかでだれかを悲しませるような結果につながるようなことをして、それでもお金のために働かなければならない、そういう状態は避けたいし、そういう仕事はやりたくありません。

嫌なことでも我慢して、お金のために働いて、わずかな休みは身体を回復させるだけで精一杯。高い買い物をしたり、ぜいたくな食事をしたり、旅行に行ったりでもして、お金をたくさん自分のために使わなければ、働いている意味が感じられないという人もいるかもしれません。でも、あんまり幸せそうには見えない。

先日、電車で隣に座った女性が、旅行代理店で立ててもらったと思われる海外旅行のプランを眺めていました。金額が目に入ったのですが、下手をすると私の年収くらい(!)。5泊6日のヨーロッパ旅行、そんなに豪華な旅行をするのに、ちっともわくわくした表情ではなく、めんどくさそうにクリアファイルにしまって、カバンにざくっと突っ込んで、スマートフォンをこれまたつまらなさそうにいじっていました。彼女が6日で使い果たすくらいのお金で一年間を暮らしている私よりも、不健康そうで不満そうに見えました。お金ってなんなんだろう?

帰宅途中や通勤の電車でも、不満のはけ口なのか、キチガイのような目でゲームに没頭していたり、音楽やマンガで現実を紛らわしていたり…。身体を少しでも長く休められるように、会社の近くに住もうと思うと、都市部に近い騒々しくて家賃の高いマンションになってしまう。食事も、丁寧につくる余裕はないから、外食や出来合いの料理で食費はかさみ、肌はボロボロになっていくし、不摂生がたたって体調がいつも優れない。それでも仕事を続けないといけないからと、高いサプリメントや栄養ドリンクを飲んだり、肌が気になって、高い化粧品やパックに手を出したり、エステ通いをしたり…。

こんなことを重ねていくと、どんどんお金が必要になって、嫌なことも我慢して働かざるをえないループから抜け出せなくなり、人生をまともに考える時間も気力もなく、ただ毎日をこなしていくだけになっていく。その目的は?―お金を得るため。

お金は人間が生きていくために使うモノのはずなのに、お金のために働かされる、お金に使われ続けるループから抜け出せなくなっていく。

こんな人生は送りたくないな、と思います。お金は本当は、私を使うものではなくて、私が使うもので、自分やまわりの人たちを幸せにしたり、世の中をもっと良くしたりするために使うもの。そのお金を得るために、嫌なことを我慢して、不満をため、不満や疲れを解消したりごまかしたりするためにますますお金が必要になって、さらに不満をためるなんていうのは、本末転倒だと思います。

お金に使われない人生を送るためには、好きなことや意義のあることをして稼ぐお金を増やすという方法と、使う必要のあるお金を減らすという方法が考えられます。いきなり前者は難しいかもしれませんが、後者なら、だれにでもできるし、モノを大切に使い、生活に必要なものを自分で生み出せるようになっていくことは、ゴミや無駄に使われるエネルギーを減らしたり、環境への負担を減らすことにもつながります。材料にこだわることもできるので、アンフェアな取引で作られているものを消費することも減り、これはいいことづくめだな、と。やり始めたら結構楽しくて、手を動かして、できることが増えていくと自信もついてくるし、生きていく能力も増えてくるし、もうずっとこの方向でいけそうです。

私が好きで、得意で、人に喜ばれたり、環境の回復に役立ったり、社会をよくすることにつながったり、といった意義を感じられる仕事をして、そのお礼やまっとうな対価としてのお金をもらえたなら、こういう暮らしをしていれば使い捨ての暮らしよりも多くの余剰が残るようになるはずなので、たとえわずかでも、だれもが安心して笑って暮らすことのできる世界を創るために使っていけたらいいなぁと思っています。