私のまわりには、「仕事は?」ときかれても、「こんなことと、あんなことと、それから、 こんなんもしてて。あ、あとこういのもやってて、うーんと、それから…」のように、ひと言では説明が難しい人が結構います。
複数の活動を生業(ナリワイ)にしている人たちです。どの活動もやりたいことで、どれもだれかに喜ばれていて、感謝されていて、働いている時間も、自分の人生の目的といったら大げさかもしれませんが、意義のある時間になっているように見えるし、楽しんでいるように見えます。
カフェやレストランも、ちょっと前までは、飲食するためだけの場所だったように思いますが、最近では、マルシェが開かれたり、お祭りが開かれたり、ワークショップが開催されたり、雑貨屋さんにもなっていたり、ヨガスタジオになったり…、とひと言ではとても言い尽くせないお店も多く見かけるようになりました。
生業にする、と言っても、お金をもらう仕事のみに限らず、生きていくために必要なものを得たり、生産したりする活動もあります。
手仕事のお手伝いをして夕飯をごちそうになる、というお手伝いのスタイルも聞いたことがあります。ウーフ(WWOOF)というのも、ウーファーは農業などの作業を手伝い、受け入れ側は宿と食事を提供するという制度で、お金以外の対価をやりとりする仕組みです。経験をセンスの糧にしたり、技術を覚えたり、縁を育んだり。こうしたことも人生を豊かにする財産だと思います。
お金以外の「収入」を得る以外にも、自給の割合を増やせば支出が減り、支出が減れば、手元に残るお金は増えます。そうすれば、お金で得なければならない収入は減らせます。
米や野菜が自給できるようになれば、お金で買わないといけないのは、調味料程度。麹も作れるようになったら、味噌やしょうゆも自分で作れるので、買うのは塩だけでいい、ということになります。塩も海水からつくるという人もいますが(!)。
エネルギーの自給も大きいです。近所の森や庭の木々を手入れして薪を作る、あるいは、生ゴミをバイオガスとして利用できる仕組みをつくれば、ガス代もいらなくなります。太陽熱温水器があればお風呂もタダでわきます。電気も自家発電にできれば、電気代もいりません。
省エネで削減した分の電力を発電したものとみなす「ネガワット発電」と同じ発想で、自給や手作りによって節約できたお金を稼いだものとみなせば、それも立派な生業(ナリワイ)だと思います。それに、食べられなくなるリスクをさまざまな形で分散できることも「複業」のいいところ。貨幣経済がダウンしても、食料を自給していれば、食べるのに困ることはないし、熱と動力の自給ができていればエネルギーに困ることもありません。
自給の範囲を増やし、支出を減らして、生活に必要なお金を少しにして、パートタイムで働けばいいという人もいて、たくましく、複業を楽しんでいるようです。草刈りのバイトをしたり、ちょっとお金がたくさん必要になったときだけ短期のバイトをしたり。空いた時間でコツコツと自分のやりたいことを形にしようとしている人もいます。
正社員か、フリーランスか、という二者択一ではなく、やりたいことだけでは足りない収入は、バイトをいくつか組み合わせながら、複業でいくという選択肢もあります。私も東京時代は出版社でパートタイムで働きながら、翻訳やリサーチ、家庭教師などをしつつ、暮らしの自給率を高めることもいろいろしていました。バイトも、やりたいことやいい縁でつながった仕事だとなお楽しいですね。
*ちなみにこの「複業」という言葉は、たぶん何かで読んで記憶に残っていたのだと思いますが、何で読んだのかはちょっと定かではありません。すみません…。
2013-04-15
2012-08-12
お金に使われない人生
両親からよく言われた言葉があります。
「モノに使われるな」
例えば、ご飯のときに、お皿を口のそばまで持ち上げるのではなく、背中を丸めてお皿に口を近づけると、よくこう言って叱られました。
お金もモノの一つだと思いますが、そのモノであるお金に使われる、言い換えれば、「お金に働かされる」という状態は、できるかぎり避けたいものです。自分の倫理観や人間性や健康を顧みず、家族を犠牲にして、自然環境を破壊して、世界のどこかでだれかを悲しませるような結果につながるようなことをして、それでもお金のために働かなければならない、そういう状態は避けたいし、そういう仕事はやりたくありません。
嫌なことでも我慢して、お金のために働いて、わずかな休みは身体を回復させるだけで精一杯。高い買い物をしたり、ぜいたくな食事をしたり、旅行に行ったりでもして、お金をたくさん自分のために使わなければ、働いている意味が感じられないという人もいるかもしれません。でも、あんまり幸せそうには見えない。
先日、電車で隣に座った女性が、旅行代理店で立ててもらったと思われる海外旅行のプランを眺めていました。金額が目に入ったのですが、下手をすると私の年収くらい(!)。5泊6日のヨーロッパ旅行、そんなに豪華な旅行をするのに、ちっともわくわくした表情ではなく、めんどくさそうにクリアファイルにしまって、カバンにざくっと突っ込んで、スマートフォンをこれまたつまらなさそうにいじっていました。彼女が6日で使い果たすくらいのお金で一年間を暮らしている私よりも、不健康そうで不満そうに見えました。お金ってなんなんだろう?
帰宅途中や通勤の電車でも、不満のはけ口なのか、キチガイのような目でゲームに没頭していたり、音楽やマンガで現実を紛らわしていたり…。身体を少しでも長く休められるように、会社の近くに住もうと思うと、都市部に近い騒々しくて家賃の高いマンションになってしまう。食事も、丁寧につくる余裕はないから、外食や出来合いの料理で食費はかさみ、肌はボロボロになっていくし、不摂生がたたって体調がいつも優れない。それでも仕事を続けないといけないからと、高いサプリメントや栄養ドリンクを飲んだり、肌が気になって、高い化粧品やパックに手を出したり、エステ通いをしたり…。
こんなことを重ねていくと、どんどんお金が必要になって、嫌なことも我慢して働かざるをえないループから抜け出せなくなり、人生をまともに考える時間も気力もなく、ただ毎日をこなしていくだけになっていく。その目的は?―お金を得るため。
お金は人間が生きていくために使うモノのはずなのに、お金のために働かされる、お金に使われ続けるループから抜け出せなくなっていく。
こんな人生は送りたくないな、と思います。お金は本当は、私を使うものではなくて、私が使うもので、自分やまわりの人たちを幸せにしたり、世の中をもっと良くしたりするために使うもの。そのお金を得るために、嫌なことを我慢して、不満をため、不満や疲れを解消したりごまかしたりするためにますますお金が必要になって、さらに不満をためるなんていうのは、本末転倒だと思います。
お金に使われない人生を送るためには、好きなことや意義のあることをして稼ぐお金を増やすという方法と、使う必要のあるお金を減らすという方法が考えられます。いきなり前者は難しいかもしれませんが、後者なら、だれにでもできるし、モノを大切に使い、生活に必要なものを自分で生み出せるようになっていくことは、ゴミや無駄に使われるエネルギーを減らしたり、環境への負担を減らすことにもつながります。材料にこだわることもできるので、アンフェアな取引で作られているものを消費することも減り、これはいいことづくめだな、と。やり始めたら結構楽しくて、手を動かして、できることが増えていくと自信もついてくるし、生きていく能力も増えてくるし、もうずっとこの方向でいけそうです。
私が好きで、得意で、人に喜ばれたり、環境の回復に役立ったり、社会をよくすることにつながったり、といった意義を感じられる仕事をして、そのお礼やまっとうな対価としてのお金をもらえたなら、こういう暮らしをしていれば使い捨ての暮らしよりも多くの余剰が残るようになるはずなので、たとえわずかでも、だれもが安心して笑って暮らすことのできる世界を創るために使っていけたらいいなぁと思っています。
「モノに使われるな」
例えば、ご飯のときに、お皿を口のそばまで持ち上げるのではなく、背中を丸めてお皿に口を近づけると、よくこう言って叱られました。
お金もモノの一つだと思いますが、そのモノであるお金に使われる、言い換えれば、「お金に働かされる」という状態は、できるかぎり避けたいものです。自分の倫理観や人間性や健康を顧みず、家族を犠牲にして、自然環境を破壊して、世界のどこかでだれかを悲しませるような結果につながるようなことをして、それでもお金のために働かなければならない、そういう状態は避けたいし、そういう仕事はやりたくありません。
嫌なことでも我慢して、お金のために働いて、わずかな休みは身体を回復させるだけで精一杯。高い買い物をしたり、ぜいたくな食事をしたり、旅行に行ったりでもして、お金をたくさん自分のために使わなければ、働いている意味が感じられないという人もいるかもしれません。でも、あんまり幸せそうには見えない。
先日、電車で隣に座った女性が、旅行代理店で立ててもらったと思われる海外旅行のプランを眺めていました。金額が目に入ったのですが、下手をすると私の年収くらい(!)。5泊6日のヨーロッパ旅行、そんなに豪華な旅行をするのに、ちっともわくわくした表情ではなく、めんどくさそうにクリアファイルにしまって、カバンにざくっと突っ込んで、スマートフォンをこれまたつまらなさそうにいじっていました。彼女が6日で使い果たすくらいのお金で一年間を暮らしている私よりも、不健康そうで不満そうに見えました。お金ってなんなんだろう?
帰宅途中や通勤の電車でも、不満のはけ口なのか、キチガイのような目でゲームに没頭していたり、音楽やマンガで現実を紛らわしていたり…。身体を少しでも長く休められるように、会社の近くに住もうと思うと、都市部に近い騒々しくて家賃の高いマンションになってしまう。食事も、丁寧につくる余裕はないから、外食や出来合いの料理で食費はかさみ、肌はボロボロになっていくし、不摂生がたたって体調がいつも優れない。それでも仕事を続けないといけないからと、高いサプリメントや栄養ドリンクを飲んだり、肌が気になって、高い化粧品やパックに手を出したり、エステ通いをしたり…。
こんなことを重ねていくと、どんどんお金が必要になって、嫌なことも我慢して働かざるをえないループから抜け出せなくなり、人生をまともに考える時間も気力もなく、ただ毎日をこなしていくだけになっていく。その目的は?―お金を得るため。
お金は人間が生きていくために使うモノのはずなのに、お金のために働かされる、お金に使われ続けるループから抜け出せなくなっていく。
こんな人生は送りたくないな、と思います。お金は本当は、私を使うものではなくて、私が使うもので、自分やまわりの人たちを幸せにしたり、世の中をもっと良くしたりするために使うもの。そのお金を得るために、嫌なことを我慢して、不満をため、不満や疲れを解消したりごまかしたりするためにますますお金が必要になって、さらに不満をためるなんていうのは、本末転倒だと思います。
お金に使われない人生を送るためには、好きなことや意義のあることをして稼ぐお金を増やすという方法と、使う必要のあるお金を減らすという方法が考えられます。いきなり前者は難しいかもしれませんが、後者なら、だれにでもできるし、モノを大切に使い、生活に必要なものを自分で生み出せるようになっていくことは、ゴミや無駄に使われるエネルギーを減らしたり、環境への負担を減らすことにもつながります。材料にこだわることもできるので、アンフェアな取引で作られているものを消費することも減り、これはいいことづくめだな、と。やり始めたら結構楽しくて、手を動かして、できることが増えていくと自信もついてくるし、生きていく能力も増えてくるし、もうずっとこの方向でいけそうです。
私が好きで、得意で、人に喜ばれたり、環境の回復に役立ったり、社会をよくすることにつながったり、といった意義を感じられる仕事をして、そのお礼やまっとうな対価としてのお金をもらえたなら、こういう暮らしをしていれば使い捨ての暮らしよりも多くの余剰が残るようになるはずなので、たとえわずかでも、だれもが安心して笑って暮らすことのできる世界を創るために使っていけたらいいなぁと思っています。
登録:
投稿 (Atom)